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2012年3月28日水曜日

08. 増田美佳「We dance 京都2012 参加レポート」

「We dance」を終えて、自分のなかに滞留しているものを言葉にせねばと日々けしかけながら、気が付くと3月も終わりに差し掛かり、2月、極寒の立誠小での記憶も春が近づくと共に緩みつつあった。せめて桜が咲くまえに留めておかなければと今ようやく文字に変換している。

「We dance」のオープニングでジャムセッションを企画しようと思うが、ただダンサーが楽しく踊っても仕方ないので、何かルールを設定してやれないだろうかときたまり氏からお話をいただき、今回ファシリテーターをさせていただくこととなった。
出演ダンサー以外の飛入り参加も可能性なセッションにしたいという意向を受けていくつかのルールを考えてみた。

ひとつは舞台上に机が一台あり、その上にカードが2束ある。一方は数字もう一方は体の様々な部位、右腕、口、左足親指、胃などと書かれている。私は踊らず数字と体のカードを一枚ずつ引く。たとえば「3」と「右肘」と出たら、アクティングエリアに3人、右肘で踊るというルール。一回3分ほどで時間を区切り、またカードを引く、「12」「股関節」、「1」「臍」、「7」「左肩甲骨」…。それを1時間やるという設定。

もうひとつは短い振りをあらかじめ考え、その動きを全員で共有するという方法。その振りは大きく動いたり、小さく動いたり、振りの範囲内で動きの伸縮の余地を含み、個々の体に翻訳されつつ皆同じことを話しつつ対話するような状態になる。以前演劇のWSで何か一言を共有しその一言だけで対話するというエチュードをやったことがあった。例えば「おはよう」の一言。それをダンスでやるとどうかと考えたのだ。このルールでやるなら、前半はこの縛りの中で踊り、後半その動きから振り自体を各々展開させつつセッションを試みてもいい。

しかしこのふたつのようなルールだとジャムセッションというよりも、振付けになってしまうのではないかという懸念と、もっとオープニングイベントとして自由に踊っていただきたいという思いもあった。
動き自体の制限は最小限にとどめ且つ野方図にならない場を提案する方法として、最終的に選択したのは「とまる」を共有するということだった。
アクティングエリア内で誰かが止まったら全員動きの途中で静止する。 感覚としてはビデオの一時停止(pose)ボタンを押す感じで、静止状態のなかで次に誰かが動くか、外から誰かが入ってくると全員静止を解く。 静止している時間の長さ、静止が入るタイミングも場のリズムのなかで変化する。 そして静止後に動き出すとき、さっきまで動いていた動きを留めたフォルムから、次にこう動いていくという軌道や速度を意識的にずらす、ということをしてもらう。方向、角度、速度、ニュアンス、ずらし方、ずらし度合いはひとつのフォルムの前に無数にあるが、静止したフォルムからできるだけ、ここで止まらなければ自分ならこの選択はしないであろうという方向へ各々の体を連れ出してもらうことが狙いであった。 さらに動く/止まるを共有し、場全体のリズムをつくることに全員が関与しながら、それぞれの体としては使い慣れた回路ではない動きをリセットの繰り返しのなかで探しつつセッションをやってみてはどうかと考えたのだ。そして前半このルールでやり、後半はルールなしのフリーインプロにして、それぞれの体の多国籍言語が飛び交うこの「We dance」というイベントのオープニングを参加者でつくるという流れをイメージしたのであった。

そして当日、このルールと意図をできるだけ丁寧に解説しようとして余計にわかり辛くした私のまずい説明が影響したことはまず大きくあるのだが、徐々に「とまる」ということが単なるストップモーションにしかなっていないのではないかと思われる状況になってきた。即興のなかで発生する関係性にシーンのようなものが出来てしまい、それをどのように面白くするかという方向に意識が流れていると見受けられる展開になっていった。それをすべて否定的に思う訳ではないのだが、即興で踊るということは何かしようと目論むことよりも、今ここで受動的に自らに起こるムーブメントに対して忠実になったときにあらわれる動きでなければならないのではないだろうか。シーン的な、具体的関係性のなかに体の置き所を見つける安住よりも、拠り所のないひとりひとりの体の拮抗があってこそ即興でしかできない関係性や場というものは立ち上がってくるのではないだろうか。こんなふうに書いてはいるがそれは容易なことではないし、私が即興において大切だと考えることであり、即興というものの捉え方はダンサーによってもちろん異なる。いつの頃からか踊ろうと決めたそれぞれの体は、どのような欲望と展望をもって踊り場に留まっているのだろうかと眺めていた。

前半の「とまる」を共有している間は、言葉を使わない、物に触れない、無音、と動き以外の要素を加えない方が明確に意図している状態にダンサーを導けたかも知れない。ダンサーは客席とアクティングエリアの中間地点に座っていた。場がアクティングエリア〜企画参加ダンサー〜客席というグラデーション配置になっていた。この配置に面白みも感じてもいたが、ダンサーにとって身を隠すことも可能な隠れ蓑にもなっているのではないかとの指摘も受けた。当日人が集まった段階で出る意思のある方全員アクティングエリアの上手下手に座ってもらうようにするなど、まず体を据える位置を変えることによって見られることへの意識を明確にすることができたかも知れない。
意図したものとは違う場が展開されているときに、私自身のその場での舵の取り方について悩んだ。中断することもできた。それともどのような状態であれこの場に起こったことが、意図していないものであったとしても、つまり想定していることをはみ出していることも即興のなかで起こっていることであり、ひとつのあらわれとなっているとするべきか。ファシリテーターという立場とは何なのか。どのような振る舞いになったとしても軌道修正をすべきという思いと、この1時間の回答は参加者それぞれの体から引き出されるものだ、という思いの板挟みで地蔵のようであった。何よりそうなっている自分に対して即興性のなさを噛み締めていた。
それでも緋毛氈の上に晒された体に瞬間瞬間の魅力を感じるところも少なからずあった。
しかしこのセッションの1時間の為に足を運び、お金を払ってこのセッションを見てくださっている方々に今回のジャムセッションで見ていただきたかったものがあらわれていないということはやはり悔やむところであり、課題として残ったことである。

今回このような機会を与えていただき、また自分にとって踊るということがなんであるのか、踊ることにどのような可能性があるのかをあらためて考えるきっかけをいただいたことに感謝しながら、今後も惑い踊らされ踊っていこうと思う。

増田美佳[俳優・ダンサー/「We Dance Kyotoオープニングジャムセッション」ファシリテーター]

2012年3月26日月曜日

07. 三浦あさ子「We dance 京都2012」参加レポート

照明スタッフとして参加した三浦あさ子です。
「We dance」に関わるのは、前回横浜でのきたまり企画に続き2回目でした。

昨年の終わりごろ企画の段階できたまりと話をしたときに、新しいものに出会えるような予感と今まで一緒にやったことのないダンサーたちとの出会えることへの期待とともに、準備期間の短さと2月の寒さのことがとても心配になったことを思い出します。

年が明けてさまざまモノを調整、そののち上演の週の前半に現地でのリハーサルに臨みました。そのリハーサルではこれからの過酷なスケジュールのことも忘れて本当にとても楽しんでしまいました。
他の方もコメントされているように、別のジャンルの演出家とダンサーによる交換および初めて関わる振付家とダンサーによる交換を通じた実験的な作品はとても興味深く、新たな可能性を持ったものになったと感じました。そこには初めて見る福岡まなみさんや松尾恵美さんを発見できたのです。

そして、2月4日の上演時にはもう一つの出会いに注目することになりました。
それは作品と空間の出会いです。今回の上演場所である立誠小学校はとても風合いのある空間を提供してくれました。そしてまた、不思議なくらいそれぞれの作品の力を引き出していたと感じています。
職員室は午後3時半までその明るさで包み込むような部屋として存在し、そして夕方5時以降は光を失って変質していくさまを見せてくれました。冬のうす明るい部屋の中「ここはモスクワなんだろう」と思わせるようなシーンが展開され、またその後は夕刻へとどんどん変わっていく中、自分の動きを再構築していく野田まどかさんが浮かび上がってくるように感じました。
自彊室はさらに強い個性を持った空間でした。暗転にはならないけれども、それを越える深い闇を感じさせる場所だったと思います。うっかりすると沼のような闇にひきづりこまれそうな中で繰り返し踊るダンサー達がとても美しく見えました。
この自彊室では前日にジャムセッションが行われました。参加したダンサーやスタッフから非常に難しかったという感想を聞き、闇が支配するような空間に対して即興で立ち向かうダンサーが拮抗できなかったのではなかったかと思います。もちろんその空間に対し照明スタッフとして立ち会ったものとしての自戒もあります。次の「We dance」への課題ができました。

三浦あさ子[照明家]

2012年3月5日月曜日

06. 橋本裕介:「We Dance Kyoto 2012」 レポート

2012年2月3日(金)から4日(土)の二日間、京都は元・立誠小学校にて行われた。「アーティストの創造意欲とエネルギーの求心力でコンテンポラリーダンスの活性化を目指し」と開催趣旨にある通り、プログラムディレクターとして、ダンサー・振付家のきたまりの元に具体的なプログラムが組み立てられた。
今回は主として、即興セッション・若手振付家のショーケース・演劇の演出家によるパフォーマンス作品・そしてシンポジウムといった構成で実施された。 初日に行われた即興セッションの後に実施された「ダンサーが考えるダンサーの未来」というシンポジウムで、きたまりは今回のプログラムの趣旨を説明していた。それを私なりに解釈すると「学んできたダンスの出自、そしてジャンルを横断することで、ダンスの新たな可能性を発見しよう」というものだったと言える。
特に近年のコンテンポラリーダンスを取り巻く状況で言えば、意外と「学んできたダンスの出自」というものを交換していくことは難しいのだろうと思う。それなりに学ぶ機会が大学をはじめとして増えてきていることで、却ってその環境に充足してしまい、外部との交流が減ってきていることが確かにあるからだ。それは、一番初めに行われた即興セッションのプログラムを観ていても強く感じるところだった。しかし、それは極めて狭い環境に若手アーティストを留めてしまう問題であって、それを打破するための取り組みがアーティスト主導で進められたことは、ひとまず前向きに捉えたいと思う。

さて具体的なプログラムについて振り返ってみたいと思う。
まず「即興セッション」だが、ファシリテーターとしてダンサーの増田美佳が、共通のルールを設定し、それに基づいて任意でダンサーが参加するというものだった。後半からはフリーセッションということだったが、前半についてひとまず感想を述べる。ルールは「とまる」を共有することだった。増田自身は、このキーワードでダンスにおける身体の根本的なところに意識を働かせながら、ダンサー同士の交換を意図していたと思う。しかし実際には、物理的な(ゲーム的な)ルールとしてしか共有されていなかったように見受けられた。ひとつには、その意図を説明する言葉が足りなかったのかもしれないが、もう一つにはこのセッションを行う「場」についての意識に参加者間でかなりの差があったのではないだろうか。つまり、一応舞台と客席というエリアは区分けされているにせよ、客席にいるダンサーが舞台に参加出来る仕掛けになっており、誰に向けて踊るのかという「見られる」感覚が複雑になってしまう「場」の設定となっていたのではないだろうか。決してその設定が悪いわけではなく、その設定についてダンサーがあまりに無頓着だったのではないかと考える。
次に「若手振付家によるショーケース」だが、文字通り若手振付家がこれまで作業を共にしたことの無いダンサーと小品を発表するものだった。元・立誠小学校が劇場ではなく廃校であるため、空間についてはその特殊性を生かして制作されたものが多かった。しかし、時間性について、いずれの作品も非常に「淡い」印象を持った。どういうことかと言えば、断片的な言語イメージは出てくるものの、それが連なって一つのドラマツルギーを織りなしているわけでもなく、あるいはコンセプトを体現する説得力のある音楽が中心に置かれているわけでもなかった。そのため、ダンスというフィクションの時間をどのように進行させていくのかについて、明確な意志を持った作品には出会うことが出来なかった。30〜40分といった日本のコンテンポラリーダンスのショーケースでよくある時間性にフォーマットされ、その中で完結するスペクタクルを構成する手段としての言語イメージ・音楽、更にそこに奉仕するムーブメント、といった印象を持った。
最後に「演劇とダンス/身体性の交換」というプログラムであるが、実際に観劇出来たのは、筒井潤と相模友士郎の演出による2作品だった。演劇の演出家からのアプローチということで、好対照の2作品だったと言える。筒井潤の作品は女性三人が登場する戯曲や映画を元にして、演技とダンスの境界にあるムーブメントを立ち上げ、虚構としての時間を詩的に紡ぎだしていた。一方相模の作品は、Wikipediaで解説されているコカコーラの解説とダンサーの日常を動きで解説するという二つのアプローチから言語イメージと身体イメージの往還する、レクチャー・パフォーマンスだった。観客の感覚あるいは意識といった部分に直接働きかける、フランスの振付家ジェローム・ベルやシンガポールの振付家チョイ・カファイたちの非常に知的な企みにあふれた仕事にもつながるような作業だった。

最後に振り返るならば、こうしたことを継続的に言葉の部分で検証していくことが必要な気がしている。イベントを行うことはそれなりに労力のいることでもあるので、そう簡単には行かないだろうが、粘り強く語り合い、情報を共有・交換することは是非今の若手ダンサー・振付家に期待したい。少なくとも、その可能性は今回のプログラムによって充分に意識させられた。

橋本裕介[舞台芸術プロデューサー/「KYOTO EXPERIMENT」プログラム・ディレクター]

2012年3月2日金曜日

05. きたまり:「ダンスの閉塞感から、身体の可能性へ」

よく文句を言います。ダンスが面白くない、と。
ここ数年は陰で文句を散々たれていました。ただ、その反面、身体は面白いという絶対的な信頼もありました。ダンスは面白くない、身体は面白い、というこの距離を狭めるためにどう具体化しようかとジタバタしていた時に「We dance 京都」のプログラムを立てることになり、面白い身体に出会うための仕掛けを試してみようと思い、今回のプログラムを考えました。

そこで、コンテンポラリーダンスの時代の流れの中で、この10年の間に、大学やワークショップでダンスを学んだり、劇場やNPOが上演のバックアップしてくれたりという比較的恵まれた環境で学んだり、創作活動を行ってきた20代から30代半ばのダンサーを中心に声をかけました。
この世代の共通点の一例として、自身で作品も作れてテクニックも持っているダンサーは、ダンス以外の創作方法に触れる機会が少ないこと。関西で多くのダンサーを輩出している近畿大学や京都造形芸術大学を卒業した若手ダンサーは、作品作りを行う際に同じ大学出身のダンサーを起用することが多く、教育機関で学んだ共通の身体言語に依存してしまう。そして若手ダンサーのコミュニティの狭さも感じる。こうしたことを意識して、出来るだけこれまでに出会ったことのない人同士が出会える場を作りたいと思い、お見合い叔母さんのように誰と誰が合うんじゃないかと想像して、どう出会わせるかと考え、今回の「We dance 京都2012」をプログラミングしました。

1日目はジャムセッションとトーク、2日目は7組の作品上演を元・立誠小学校で行い、クロージングイベントをUrBANGILDで開催したのですが、全ての上演が1回のみという貴重な時間だったと思います。

2日目に上演した7組の作品は二つのプログラムで構成しました。ひとつは、一緒に作品を作ったことのない振付家とダンサーが出会い創作を行う「New Creation
 若手振付家、ダンサーによるダンスショーケース」に4組。20代前半で近畿大学出身の菊池航と中西ちさと、30代前半の日置あつしと荒木志珠が振付を担当しました。
各企画とも初めて会うダンサーとのクリエイションを2週間〜5週間行い、20分〜30分の作品の上演を行ったのですが、普段とは多少異なる方法で初めて会ったダンサーとのクリエイションに挑んだことが、振付からもダンサーからも垣間見れたように思います。そこには、ディレクションをした側の満足感と手応えはありました。ただそれでいて、作品、身体の方向性がとても曖昧に感じられたのも正直な感想です。
これは私がダンスを面白く感じない原因のひとつでもあるのですが、振付家やダンサーという身体に対しての主観が強いアーティストが、自分の主観をどのように言語化して客観性を見つけるかというのが全体の課題としてあったと思います。振付家がダンサーの身体を扱う際にどのような作業を行うのか、身体の扱い方や作品の方向性をダンサーにどこまで提示できるのか、普段一緒に作品を作っていない関係だからこそ、もっと振付家もダンサーも疑問を言語化してぶつけていくことができたのではないかと思います。客観性=観客に伝える力でもあるし、そこで振付家とダンサーの共通認識や対等なコミュニケーションが生まれるような気がします。
大抵の日本の若手コンテンポラリーダンサーが身体の強度、技術的なものがそれ程高くないという現状の中、純粋にダンスで観客を感動させるのは至難の技だと思います。そもそも「純粋なダンスとは何だ?」ということでもあるのですが、今ここで定義する“純粋なダンス”とは主観が行き着いた先にある客観性をそなえた身体、技術的にも申し分なく舞台上での再現性がきちんとある身体を表しています。
しかしながら、こんな身体になるには大変な時間と経験が必要で、そこを目指していくのは並大抵のことではないし、時間のかかることです。今回は若手主体の企画の上に、クリエイションの時間も予算も限られていました。しかしながら、身体を自身の表現手段として選んだからには、それをどう構築していくか、そのための言語や手段を明確にしていかないと、コンテンポラリーダンスの前途は多難だとかなり冷静に感じております。
そして、主観と客観の曖昧さ(なんとなく)の恐さというのを、非常に感じます。

一方で、その主観と客観の曖昧さ(なんとなく)をハッキリと拒絶したのが、もうひとつの企画「演劇とダンス/身体性の交換」で、演劇の演出家がダンサーの身体を扱いクリエイションに挑んだ3組には明確にありました。20代の相模友士郎、30代の多田淳之介、40代の筒井潤とちょうど5〜6才の年齢差がある三人の演出家が、共に初めて〈出演者が全てのダンサーである〉という条件の中で1週間〜8週間のクリエイションを通して、40分〜80分の作品に挑みました。扱う身体がダンサーになった際にどの様なことを試みるのか未知数ではありましたが、それに関わるダンサーにとっては刺激的な時間になるだろうという確信がありました。
蓋を開けると、三者共に異なる身体への眼差しがハッキリと見えたこと、そしてダンサー自身もそこに真っ向から立ち向かっている関係性を感じることができ、演出家にとっても、ダンサーにとっても濃厚な時間であったことを伺わせ、ディレクション側としては申し分なく客席から充足感を味わうことができました。
しかし同時に、ダンスの現場で活動をしてきた人間の立場からは悔しい感情もあります。ここまで明確にダンサーの身体を客観的に扱うことで、ダンサーに主観(作品を踊る身体)と客観(作品の目指す方向)を与えることができる演劇の演出家の客観性/言語には、今後の身体の可能性を探るものがありました。

私自身も振付家でありダンサーでもある立場なので、こういった発言は自分自身も含めて言っていることですし、必ずしも若い世代だけの問題ではないかもしれません。“コンテンポラリーダンス”という名目での公演を2000年代に沢山見れる機会がありましたが、その中で、“こうゆうものがコンテンポラリーダンスである”という認識ができてしまったことが邪魔している部分があると思います。認識や見本ができてしまった時点で「コンテンポラリーダンスではない」と言ってしまえば簡単ですが、次の世代の身体の方向性が発生していない、もしくは発生しているがダンサーや振付家がそれらを言語化できていない、という現状の中で若い世代にとってはコンテンポラリーダンスがすでに古びた言葉であることも事実としてあります。

ただ今回の「We dance」を通して、身体を扱う表現者として、身体を扱う探究心、そこから広がる可能性を無くしてはいけないということを肝に命じることが出来ました。
正直、「We dance」という形では再度京都で行うことはしないでおこうという気持ちでいます。語弊がないようにいいますが、次にこのような機会を設ける時は、今回の「We dance」を足掛かりに関西のアーティストが自発的に興味を持っていること/探求したいことを交換する場を新しく作っていければ良いなと思っているからです。
"行動しない者には文句をいう権利はない "ということを肝に命じて、次世代のアーティストがこれからを作ること、上の世代が作ってきてくれた状況に感謝と敬意を払いながらも、移りゆく身体の覚悟と共に、ダンスが、身体が、もっともっと面白いものになればいいと思っています。 そのために何が必要か、しっかり考えていきましょう。

最後になりましたが、参加アーティスト、ご協力頂いた方、ご来場の皆様、本当にありがとうございました。

きたまり[振付家・ダンサー/「We dance 京都2012」プログラムディレクター]

2012年2月28日火曜日

クロージングトーク「演劇とダンス/身体の境界線」

2/4 21:00〜22:00 会場:UrBANGUILD

トーク司会進行:森山直人/参加アーティスト:筒井潤、相模友士郎、多田淳之介(写真左から)


森山:日本のコンテンポラリーダンスは、佐藤まいみさんというプロデュサーが手がけた先駆的なダンスフェスティバル「ヨコハマ・アートウェーブ’89」あたりをきっかけに、ここ20年余で定着してきました。今回のプログラム・ディレクターのきたまりさんも、昨日のトークセッションで時代意識に言及なさっていましたが、それなりに時間は経ったわけです。ところで皆さんは演劇の場からダンスをどのように見ていたのか、それぞれのダンスとの関わりを伺いたいと思います。筒井さんはいかがですか?
筒井:僕がダンスに関わるきっかけは、演劇の興味の延長だったんですよ。台詞に対する演出はできても、その時の佇まいが何かつまらなくて。身体の扱い方をもう少しなんとかならないものかと思って、コンテンポラリーダンスの振付家のワークショップに参加し始めたんです。そんなときに山下残さんのワークショップに参加して、次回作の『透明人間』(2004年)にいきなり出演することになってしまったんです。ダンスを本格的に観るようになったのは、自分が踊り始めてからです。
森山:当時、演劇とダンスにジャンルの壁があったんですね。
筒井:はい。今は違う状況になりつつあると思いますが、それは造形大や近大の存在が大きかったと思います。

相模:僕は京都造形芸術大学出身で、もともと映像専攻だったんです。舞台コースでは太田省吾さんや舞踏出身ダンサーの山田せつ子さんや岩下徹さんが教えていたんですが、舞台に強く惹かれたきっかけは、細江英公が撮った土方巽の写真集「鎌鼬(かまいたち)」を見たからなんです。それは、ちょっと驚いたというか、自分の身体を外に投げ出すような写真集だったんですよね。それで、岩下さんの授業を受けました。2004年、僕が1回生か2回生の頃です。だから、舞踏への関心がまずあって、そこから身体に興味を持って、その先にダンスじゃなくて、演劇があったっていう感じです。
森山:相模さんはいきなり出会っちゃった訳ですよね。それがなければ、舞台そのものをやってない可能性が多いにありますよね。
相模:そうですね。土方巽の写真集を見ていなかったら、岩下さんの踊りを観ても踊りというか「くねくねしてる」って事にしかならなかった。それが、その人が何故こんなにくねくねしているのか、実際にやってみると「俺もなんか案外くねくねするな」みたいな翻った感じはあったと思います。
森山:それは、案外大きな発見ですね。多田さんは、いかがでしょう。

多田:僕はコンテンポラリーダンスと出会っている途中です。最近ダンスの友達も増えて、一番仲良いのが白神ももこで、次がきたまりなんですけど(笑)。それまでダンスは観てなかったんですが、白神さんの舞台を観て興味を持つようになった。それは単純に自分が演劇に対して求めているものと被るからで、時間や空間に切実さを持っているダンスの作品を観ると面白いと思う。また、ジャンルは違っても舞台芸術という点では共通点は多いと考えています。
森山:演劇とダンスというと、誰でも思い出すのは岡田利規さんです。チェルフィッチュ的なものは、小劇場演劇の創造力とダンス的な想像力のつなぎ目のような役割を果たしたと思うんです。多田さんの場合は、自分の表現を追求しているうちに自然にダンスに出会ったという感じですか?


多田:僕の作品は“身体性”についてよく言われるんですが、演劇とダンスの身体性は何か違う様な気がしています。役者とダンサーの違いを考えると、ダンサーは踊ることが出来て、踊りで存在することが出来る。今回上演した『RE/PLAY』では、踊ることで存在する事が出来る人たちを使って、自分が演劇で培ったものでなにか作れないかなと考えました。今回のメンバーはきたまりが集めてくれたんですけど、稽古も5回しかないので、『再/生』ではなく2006年版『再生』の30分を三回繰り返すという方法で創る予定でした。ただ稽古で色々試したり話したりして、ダンサーと僕で作るならこっちが良いだろうと言う事になりまして、キャリアのあるダンサーが多かったので色々話しながら作れたのも良かったです。でもダンス版は、俳優版の『再/生』より演劇度は自分としては強いんです。選曲や使い方も。俳優は人間そのものとして存在してもらいますが、ダンサーは人間ではないものとの狭間を行き来してもらうようなイメージ。踊りによって存在する事で、人間以外のものとして存在できるというイメージで、何によってそこに存在するかはかなり違うと思ってます。
森山:振付はどの程度つけたんですか?
多田:ゼロですね。完璧に好きにやってくれと。構成だけ決めて、振付は自分たちでお互い干渉せずに一人で作ってくださいと。
森山:音のタイミングは、多田さんが決めているんですか?
多田:そうです。何回も繰り返すシーンで使っている曲「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」は、何週目からは何秒で入れるとか、軽くは決めていますね。
森山:あれだけ繰り返すと、人間の身体はいかに繰り返す事を拒絶するものかという事がものすごく滲み出てくる。それからいろんな段階がありますよね。拒絶する段階と開き直る段階、開き直ることも出来なくなる段階とか。改めて今、演出家としての感想は?
多田:お疲れさまでした。っていうか、本当にありがとうございました。
森山:まぁ考えてみたら、それ以外に言いようがなくはないですね(笑)。多田さんの作品について、お二人はいかがですか?


筒井:今回3人の作品は、音楽の使い方が印象的やなと思ったんですけど、選曲の理由ってあるんですか?
多田:一応自分的なストーリーに乗せているというような感じですね。サザンオールスターズの「TSUNAMI」は時間の話でもあると思っていて、後半の相対性理論「ミス・パラレルワールド」と「ラストダンスは私に」はストーリー。稽古でいろいろ試してみて、ノイズをかけるとダンスに見えるんだけど、Perfumeをかけると歌詞によって舞台上にいる人が何かの人物にみえたり。今回は歌詞あった方がいいだろうと思いました。
相模:あの作品では、動いてる/停止してる/崩れ落ちてる、という3つの動きがある。その3つである理由は何かあるんですか?それとも、そういう動きを入れてくれと言っているんですか?
多田:入れてください、と言ってます。その割合も、この辺から倒れるのを入れてくださいとか。止まるのは、止まれないっていう事がやりたくて。倒れるのは、立ち上がりたくて倒れてるというような感じです。
相模:立ち上がりたくて倒れるって、どういうことですか?
多田:立ち上がってる姿が好きという僕の趣味もあるんですが、突然脈略なく何かが終わるというのが、倒れることでもあるんです。終わりのイメージというのが強くあって、終わった所からもう一回出てくるようなイメージですね。
森山:だから、動き自体は何度もバザ、バサって終わるんだけど、作品自体は全く終わらずに続いていくっていう。
多田:そうですね。ひたすら時間だけは流れ続ける。

森山:相模さんの作品『先制のイメージ』ですが、「ダンサー1名」という希望を出されたと伺っているんですが、なぜですか?
相模:僕自身ダンスをずっとやって来た人と作業をすることが始めてだったので、単純に一人のダンサーとじっくり付き合うという事をしたかった。前提として僕が振付を作ることは難しいだろうし、ダンサーにある振りを作ってもらって何かをやるっていう事もしたくないなと思っていた。そこで、演劇として扱う身体と、ダンスとして扱う身体との違いや共通点を丁寧に検証していって、それを僕がどのように見て、観客にどのように出会わせるかをやってみたいと思った。一人のダンサーと一人の見る側としての演出家としての差異と同調を稽古場の中で確かめていくには一人が絶対いいだろうと。
森山:つまりダンス作品を作るっていう名目はあるんだけれども、むしろ演劇とダンスの接点を探していくという作り方だったということですよね。相模さんにとって、演劇とダンスの作品の作り方の違いはどこにあるのですか?
相模:僕が演劇を作る時は、演劇が持っている制度からどう抜けて行くのか/向かい入れて行くのかが問題としてある。それを今回はダンスを作るという宣言をした時に、ダンス自体が持っている制度をどうしても意識せざるを得なくなってくる。僕自身も演劇の演出家として外部的にダンスを見ていく、ということではなくて、ダンスが持つ制度の中から演劇とダンスの両方をみていくというように見る目をシフトしないと、ダンサーと一緒に作る、ということから外れてしまう感じがあって。
森山:決定的な事実として、目の前にいる人がダンサーだっていうことはあるのかしら?
相模:そうですね、ダンサーの野田まどかさんに、あまり僕がこうあるべきだっていう身体のありようを一方的に与えない方がいいんじゃないかと。


森山:この舞台で改めてダンサーってこういうことが出来るんだ、こういう身体の動きってあるんだって感じがして新鮮な体験だった。こういう見方でダンサーの身体をみたことはあまりないなと。最初に相模さんが舞台上でコカコーラの話をするんですが、内容以前に、観客の視点をシフトする装置として使っていたんですか?
相模:僕自身ダンスを観る時に、この身振りにどういう暗号が隠されていて何を表象しようとしているのかを探ろうとする目がすごく鬱陶しいなと思うんですよ。結局、その身振りに対してそこに隠されている暗号を解読出来たかどうかが、そのダンスを観たことに関するある一つの価値としてあると。今回は野田さんっていうダンサーがいて僕は延々とその野田さんの動きを見ているだけなんですけれども、その時にはもうすでに、僕と野田さんの間には前提となる共有されたイメージがある。そこで動いているからだと、前提とされるイメージを照らし合わせながら見える/見えないを知覚するという演出的な目をそのまま観客に渡せるかって事をやりたかったんです。コカコーラに関しては、その導入としてありながら舞台上で行われている事とパラレルな関係として対置できればと思ってました。

森山:多田さん、相模さんの作品はいかがでしたか?
多田:いやー、すげー面白かったんですけども。稽古はいつ頃からやってたんですか?
相模:12月の頭からです。2ヶ月やってるように見えないって言われるんですけど。前半は週1回、後半は週3回8時間とかですね。
多田:すごいドSですね。
相模:僕、それを多田さんに言われるとは思わなかったです。
多田:俺はそんな出来ないなぁー。稽古中に結構しつこくやってみたけど、これはダメだったなみたいなことはどんなことですか?
相模:今回の舞台は、ほとんど稽古でやっていたことなんです。起きてから稽古場に着くまでの身振りが出てきて作品が動き始めた感じはあったんですけど。その前は、例えば野田さんが手を挙げる時に、後ろ側に野田さんがいてその手を挙げさせられているという気持ちでやってくださいとか、今度はその動かしていた野田さんをやってくださいという稽古を1〜2週間、40分くらいのセッションを何度もやる。これで一応「we dance」は出来ますねみたい感じで。あとは、イメージの野田さんが実体の野田さんにコーラの缶を持たせに行って、コーラの缶を持った瞬間に今度はイメージと実体が入れ替わる。そうすると、さきほどまでコーラの缶を持っていた実体の野田さんはイメージとして見えないものになってしまうのでコーラの缶だけが抜け落ちますよね、とか。これなんの意味あるの?と一切言われなくて、それは良かったなと。


多田:野田さんにどう思ったか聞きたいですね。突然舞台に出るって言い出したぞ、この人みたいな。
森山:野田さん、コメントありませんか?
野田:ご飯に夢中でした。
森山:すみません、大変だったですか?やっぱり。・・・もうその顔だけで十分です(会場笑)。筒井さんは、相模さんの作品に関してなにかありますか?
筒井:コンセプト自体が凄く良く出来てるなって感心したんですけど、2つ気になることがあります。ひとつは、次やって欲しいことことを説明する時に出てきた「自立」という言葉。あの瞬間に急に(身体の)躍動感が出る。その言葉をいかに自分の中から引き出したのか。そして、もうひとつは話を聞いている時の野田さんに演出したか、という点です。
相模:自立に関して言うと、例えば言葉で話す場合は出来事と出来事の時間が簡単に飛べる訳ですよね。それを身体でやる場合は現在でしかないので、この出来事を表す身振りと次の出来事を表す身振りの間をどうしても繋がざるを得ない。フォルムからフォルムに移動する瞬間に、前にあるイメージがぱんと抜けて、からだの軌道がはっきりみえてくる。その時に、ある前提とされるイメージからからだが抜け落ちるのか、そのイメージを追い越すのかってことはわかんないですけど、速度や身振り、フォルムとフォルムの間をつき詰めていくことによって、そこに或る身体の自発的な動きが見えてくるという意味で使ってます。
多田:相模さんが「奉仕」とも言っていて、奉仕と自立の間に、境界線を見た気がしてます。ここだー!今越えてる越えてる!みたいな感じがあった。確かになにかに奉仕している動きというのはあんまり踊りに見えなくて。演劇は台詞だったり、役に体を奉仕している状態なので、これは凄く分かりやすく境界線をまたいでいるという気がしました。

相模:ありがとうございます。身体とか踊りがあるイメージを作り出すものだって言うことを前提としてみると、イメージに奉仕した身体を見ているんですよね。それを僕は受け取るつもりでみてないよと。僕はイメージを憎んでいるのではなくて、イメージが言葉に回収されること自体を憎んでいる。『先制のイメージ』では、イメージは見る人のまなざしと舞台上にあるからだとの対話を阻害すると思っていて、イメージが言葉から離れていって踊り自体の言語が出てくる瞬間が、恐らく僕自身がダンスに対して期待しているものだと思います。テーマや伝えたいことを表象させるものとして身体があるならば、それは別にダンスでやらなくてもいいんじゃないかと思っています。野田さんが僕の話を聞いている時の演出ですが、お客さんに対して対抗するでもなく素に近い状態で居れたらいいですよねとは言ってました。そのためには僕がどういう風に話しかけるかで違うんですよね。僕が明らかにセリフを読んでる感じになると野田さんも「はい」みたいな固い感じにもなるし。極力野田さんと僕の対話が固定していかないように、僕の方が気をつけていたと思います。
筒井:話を聞いている野田さんと相模さんがその瞬間にデュオに見えるんですよね。相模さんが舞台のコーラの缶を取りに行く時って、実に見事なデュオやなと思うんですよね。あれ、絶妙やな。
相模:あれ僕も結構気持ちいいもんで。


森山:次に、筒井さんの作品『女3人集まるとこういうことになる』ですが、ダンスシアターとしてみればスッと観れる。僕が思い出したのは、映画で割とセリフの少ない、でも仕草一つ一つが登場人物の状況や関係性をクリアに見せてしまうジムジャームシュなんかの映画でした。3人のダンサーと作品を作っていくプロセスは、どういう感じだったんですか。
筒井:僕のチームは、細いけど長い付き合いの福岡まな実さんと、短いけど濃い付き合いだった長洲仁美さんと、初対面だけど向こうからぐいぐい懐に入ってくる倉田翠さんという丁度いいバランスで、第一歩は割とやりやすかったです。実はきたまりさんからは「福岡さんと…」という話があったのですが、僕はソロを作るには色々な経験や何かがないと不安に思っていた。2対1じゃ負けると思って、3人だったらいい輪が出来るかなと思って。まず僕はゼロから振付を作ることは出来ないと思ったのと、日常の身体の延長は良くやられているって思っていたので、チェーホフの『三人姉妹』をベースにしました。そこに、イギリスの作家トニー・パーソンズの同名の小説(原題:「the family way」)、ウッディ・アレンの三人姉妹が出てくる映画のイメージなどをシャッフルさせて、彼女達に佇んでもらったらどうだろうとか、この時にゆっくり動いてもらったらどうだろうということを繰返しながら作っていった。資料を集めている時に具体的な未来図は全くなかったですけど、それらの資料と彼女達がどう対面するかをじっと眺めていて、使える/使えないってことを探っていったんです。

相模:あのーこれ褒めているということで聞いてもらったらいいんですど、相当ペラペラな感じがしたんですよ。身体に形式を持たせたような印象で、三女が行くと、長女がどうしようって振り向くじゃないですか。本当にある感情が見えづらいペラペラな身振りが続いていったような感じがあって、そのペラペラさは意識してたんですか?
筒井:最初に資料の台詞を全部すっとばして、まず動作だけ拾ってやってみましょうっていうのをやってみたんですね。でも、ダンサーに台詞の意味を聞かれるんですよね。あーガッツリ演劇やる気やなと。でも「we dance」やでと思って、そこはそんなに考えなくていいからと。動機としてはテキストだけど、その中の動作と関係を示す立ち位置とかしか僕はやらないでおこうと思った。段々3人が理解してくれてスムーズに稽古が進んだんですけど、最初はものすごい表情作ったりしてて、あぁ困ったなぁという感じが正直ありました。そういうものを剥いでいくことでペラペラ感が出てきたのではないかと思います。
相模:音もね、結構ペラペラした音でした。
筒井:ザ・シャッグスっていう三人姉妹のバンドなんですけど、とにかく演奏が下手で、リズムが無茶苦茶なんですよ。もしノれる音楽をずっと流してると、お客さんどころかダンサーもノっちゃうだろうなっと思って、それを避けたかったので丁度都合がよかったんですよ。リズム楽器がずっと鳴っているけどグルーヴがないから、アンビエントな感じの効果もあったなと。


多田:最初女性3人の話というので「三人姉妹」だと思った。でも、会場の職員室が完全にチェーホフになっていて、なんかモスクワが見えるみたいな。いや、すごい面白かった。あれはジャンル境界線を越える/越えないとかではなくて、二次元に境界線があるとしたら、別の次元のイメージがあった。出演ダンサーは自分が踊っていたと思っていたのかも凄く気になった。例えば、踊るなとか踊っていいとかの作り方はしたんですか?
筒井:意外に演劇っぽくなる瞬間を消すっていう時間が多くて、稽古2週間後にダンサーから「うん、ダンスしてるって感じがちょっとわかってきた」と。その後に「あの、もっと踊りませんか?」みたいなことを言われて、「えー前に十分ダンスぽいって言ってたやん」って。
多田:て、ことはやっぱり踊ってないっていう。
筒井:うーん、ていう感じ。でも僕がリズムを気にし出して、もうちょっと早く振り向いてとか、もうちょっと長くじっとしててとか、多分その辺で彼女達がダンス的感覚をうまく活用して自分の身体を制御したり、動かしたりしていたので、彼女達もダンスぽいアプローチが出来たんじゃないかなと僕は思ってます。
多田:凄く演劇的な演出に対して、彼女達が自分たちの持っているダンスの技術で答えるというような作業で生まれたんじゃないかなと。
筒井:まさにそうですね。

多田:結構不思議なんですよね、踊る/踊らないっていうダンサーの感覚。僕も未だにわからなくて。僕のチームで「今踊ってた?踊ってなかった?」って聞くと、8人結構バラバラだったりするんですね。「私は結構踊ってた」、「私は踊らないようにしてました」とか。どっちなんだろうって。
筒井:踊らないようにしてたって、微妙ですね。
多田:「踊るって何なの」みたいな話も、8人8様で全然ばらばらで逆に面白かった。
森山:その辺り、きたまりさんはどうなんですか?
きたまり:ここ2、3年演劇の人と一緒にやらしてもらってるんですけど、演劇の時は気配を作らないようにはしますね。ダンサーって身体で気配を簡単に作れるんですよね。すぐパンと切り替えられる。今OFFで、じゃスイッチ入れてやろうとか、スイッチを入れないでやろうっていう意識。
森山:ダンススイッチがあるわけですね。
きたまり:演劇の時には、それをやらないようにします。
森山:逆に演劇スイッチってあるのかしら?
多田:俳優スイッチは、あるかもしれないですね。
筒井:僕は、3人のダンサーが演劇スイッチ入ってると、OFFしに行く。
相模:これ余談ですけど、腰に俳優は居るらしい。人から聞いただけなんですけど。
きたまり:じゃダンサーは、地面と天井に居るんじゃないですかね。腰と頭部の上。とりあえず真直ぐ立てという稽古を最初にするから。
森山:腰って、声を出すとか、腹式呼吸とかそういうこと?
相模:いやわかんない、そういうことがあるらしいんですよ。別の作品で一緒に作業してる人が言ってました。縄跳びすると、腰から俳優が立ち現れてくる。
森山:本当ー?(笑)これだけでじっくり2日ぐらい「we dance」シンポジウムできるかもしれないですね。客席から質問はありますか?

Q:筒井さんに質問ですが、先ほど観客とダンサーが音楽にノッてしまうのがいけないというのはどういう意味ですか?
筒井:僕の今回の作品はリズムで客を煽る演出ではなかったので、定期的なリズムのある音楽は避けたかった。観客的な立場で言うと、僕が単純に音楽が好きだからかもしれないんですけど、かっこえー音楽流れてくると、舞台で行われていることよりも、これいい曲やなーって思ってしまう。あえて、音楽で客を煽りたいのであれば、それこそ多田さんの音楽の使い方が正解だと思います。
相模:あの、多田さんの曲の使い方ってどっちにかかってます?ダンサーか、客か?
多田:基本お客さんですね。ダンサーには聞こえてなくても僕はいいんですけど、聞こえていた方が頑張りやすいだろうなっていう感じがある。お客さんに、大きな音をぶつけられている人を観せるという時もある。作品によって違いますが。
森山:それでは、最後にこの企画を仕掛けたきたまりさんから、なにかコメントありますか?
きたまり:私は今回プログラムディレクターとして、この人とやってくれとオファーしたり、人を引き合わせただけで、リハまで作品内容は全然わからなかったんです。今回皆が一緒に作業をすることで、意外な出会い方/作り方であったり、その場の立ち方であったり、そういうものとちゃんと向き合っているような気がして、本当によかったなと思いました。
森山:じゃぁ「We dance京都」、無事成功ということで。
きたまり:充実したプログラムだったと思うんです。かなり動き出したのが遅かったのに、皆さん結構ギリギリな感じでやってくれて、こんなに沢山の人たちが集まってくれるとは思ってもいませんでした。本当に皆さん長時間お付き合いいただきましてありがとうございました。お疲れさまでした。

※舞台写真はすべてゲネプロにて撮影
※編集協力:竹宮華美

2012年2月27日月曜日

04. 中西 理:「We dance 京都2012」レポート

 2月3〜4日の両日、ダンスに携わるアーティストによるフォーラム「We dance 京都2012」が元・立誠小学校などで開催された。「We dance」は、アーティスト、振付家などが主体になり、ダンスパフォーマンス、トークセッションなどを開催。主催は「NPO法人Offsite Dance Project」(岡崎松恵代表)。2009年にはじまり、これまで毎年横浜で開催されてきたが、2回目以降横浜での企画担当者にダンサー・振付家のきたまりが参加したことをきっかけにぜひ京都でも開催をとの機運が高まり、今回初めての京都開催となった。

 2日間のイベントではあったが、初日の3日は「We Dance Kyoto オープニングジャムセッション」と題して、参加ダンサーらが設定された一定の条件の基に即興で踊るという企画だけでほぼ参加者らによる顔合わせ的な色合いが強かった。これに対し4日は開始の1時から深夜のダンス☆ナイト(クロージングパーティー)まで、公演だけでもこの日のために企画された新作が7本、それにそれぞれの参加者によるトークなどきわめて充実したラインナップとなった。

 横浜の「We dance」では公演もショーイング的なものが多く、それ以外のワークショップ、トーク、会議、レクチャーなどの企画が多く、ダンスを見せるというよりもダンサー、アーティスト相互の交流の場の色彩が強かったが、「We dance 京都2012」は内容をダンサーらの参加する作品作りに絞り込み、なかにはこれだけのために1カ月以上の稽古を重ねたものもあるなど、ダンサーの交流を作品作りを通じての交流という風に絞り込んだ。そして、通常の作品制作との違いをはっきりさせるために、きたまりは今回プログラムに2つの工夫を凝らした。ひとつはこれまで関西のダンス界を支えてきた振付家ではなく、きたまりと同世代ないしより若い世代の気鋭の振付家4人(菊池航・中西ちさと・日置あつし・荒木志珠)に作品制作を依頼。しかも一緒にやるダンサーはこれまで一緒にやってきた人ではない人との組み合わせとしたことだ。もうひとつは東京から招へいした東京デスロックの多田淳之介をはじめ、京都を拠点とする相模友士郎、筒井潤(dracom)と演劇畑の演出家3人を招き、ダンサーとの共同作業による作品制作を委嘱したことである。こちらの方では関西を代表するようなキャリアのダンサーらが参加した。

 作品は関西のショーケース公演のなかでは最近あまり見かけないような意欲作が多く、作品のレベルもどちらかというと習作的なものが多かった横浜の「We dance」と比べても格段にレベルが高かったのだが、なかでも白眉の出来ばえであったのが、多田淳之介演出による『RE/PLAY』だった。『RE/PLAY』は東京デスロックが昨年上演し現在も日本各地をツアーして回っている『再/生』という作品の系列に入るものだ。『再/生』は音楽に合わせて一連の一定の動きのシークエンスを繰り返し、その激しい苛酷な動きを繰り返すことで、しだいに疲弊していく身体を見せ、そこに表象される人間の「生」と「死」を問いなおしていく作品。

 最初『再生』として2006年に初演され、それはネットで誘い合って集まって集団自殺をはかる若者たちの姿を描くという具体的な物語があり、その中にはノリのいい音楽に合わせて、登場人物たちが踊りまくるという場面があり、その喧騒の中で毒を飲んで全員がばたばたと倒れていく。だが、『再生』の趣向の面白さは物語にはなく、生身の人間が同じ動作を3回繰り返すといってもそれは不可能で、その間にも身体は疲弊し動けなくなっていく1時間30分として示して見せたことで、命はその時、その場所にしかないこと、人生に同じ瞬間は絶対にないことを観客に示したのである。再演となった2011年の『再/生』では俳優の動きにはもはや具体的な意味はなく、その意味ではダンスに近いとも言えるが、そこで提示されるのは動きそのもの(ダンス)ではなくて、それが繰り返させることによる身体的な負荷で動けなくなる人間、そしてそれにもめげずに動こうとするその姿から3・11以降の「死」と「再生」を重ね合わされるような舞台となっていた。

 『RE/PLAY』は基本的には『再/生』のコンセプトを受けついだもので、多田の作品の場合、動き自体は特定の振付を振付家が与えるわけではなく、パフォーマー自身が提出するものであり、この場合はダンサーである出演者がそれぞれ自ら創作したものであるため、動き自体はダンスと言ってかまわないのだが、全体の構造は多田が用意した演劇的な仕掛け(繰り返すことで疲弊していく身体)に支配されているため、あえて言うなら「演劇作品」であるはずのものであった。

 今回は同じ動きを3回繰り返すというのではなくて、『RE/PLAY』という表題の通りにレコードプレイヤーの針を戻して同じ曲を何度も何度も繰り返すように最初にオープニングとしてサザンオールスターズの「TSUNAMI」が2度ほど繰り返した後、ビートルズ「オブラディ・オブラダ」がなんと10回連続でかかる。この後、「ラストダンスを私に」になど『再生』以来おなじみの曲と相対性原理、そして最後の方でPerfumeの曲が繰り返しかかったころにはほとんどの出演者は疲れ切ってだめだめの状態で、まさに多田(釈迦)の手の平に乗る孫悟空のように予定通りの有様だった。

 ところが「あるはず」と書いたのはこれまで見た多田の作品では必ず起こっていた疲弊のようなことを超越して、ただただ踊り続ける1人のダンサー(松本芽紅見)がいたからだ。松本ももちろん疲れていないというわけではないのだろうが、ほかの人が次々と限界を迎えていくなかで、疲れれば疲れるほど一層気合が入ってきて、動きの無駄が削げ落ちきて、神々しいまでの存在感を見せ始める。一瞬赤い靴を履いたバレリーナのことさえ思い出させるその姿はまだに「ダンスそのもの」を思わせた。これは作品のコンセプトを吹き飛ばしてしまい、逆説的にそこに演劇(=意味性)を超えた「ダンスというもの」を逆説的に浮かび上がらせた。

 演出家・相模友士郎とダンサー・野田まどかによる『先制のイメージ』もいわゆる振り写しではない振付の生成をそのノウハウと一緒に見せてしまうという一種のメタダンスであった。こういうものはダンスの内部からの思考ではそれが例え、最近はやりのノンダンス的なコンセプト重視の作品であってもちょっと出てきにくい種類の作品で、こういうものを生み出したということだけでも演劇の演出家を招へいしたきたまりの企画は成功だったといえるだろう。

 最初に舞台下手に相模が登場してコカコーラの歴史についての薀蓄を語り始める。その後、野田が舞台に登場して、なにやら少し小さな身振りのようなことをはじめる。それはマイムのようなはっきりしたものではないのだけれど、どう見てもなにか身振りのようなもの見えるがそれがなんなのかははっきりとは分からない。これを一度見せてから相模は「これはある日の家で起きてから、稽古場に来るまでの様子を思い出して、再現してもらっています」と説明し、野田にそれぞれなにをしているところかを説明しながらもう一度同じ動きを繰り返すように言う。そうするとよく分からなかった動きの連鎖が途端に意味がある動きの連鎖として見えてくる。そして、今度はセリフなしでもう一度動きだけを繰り返させるが不思議なのは一度意味性と張り付いた動きはその意味合いを言葉を失っても、失わない。

 いわばこれはマイムがどうして成り立つのかという原理なのだが、次に野田に対し、相模は外から自分が人形遣いで先ほどの自分の動きを外側から操るように動くように指示する。これでも見ていると実際に動いている野田の動き以外にそれが操っている仮想の人形のようなものが見える。次にその動きを基本的に守ったままで、動きを自律させるように指示する。ここのところが少し分かりにくいのだが、簡単に言えば動きを動きとしてぎくしゃくしたものではなく少し自然な流れにまかせるようなものとする。それでもなんとか前のイメージは少し残っているのだが、 ここに音楽を重ねていくと印象が一変する。直接的な意味性のようなものが薄れていって、ダンスないしダンスのようなものに俄然見えてくるのだ。

 そして、その後、今度は最初に読んでいたコカコーラについての文章を朗読して動きに重ねていく。そうするとまた意味性が生まれてくるが今度は動きと言葉が1対1で対応しているわけではないので、もはやそこに言葉が重なっても「演劇のようなもの」には見えはしないが、コカコーラについての語りと野田の動きはどこかで共鳴しあっていて、それをダンスと呼ぶべきかどうかは微妙だが、もはやそれはそれまでのプロセスで出てきたどの段階とも違う新たな表現となっていた。演劇(マイム)⇔ダンスの関係を動きと意味性との距離感を自在に伸縮させることで多面的に提示した作品でダンスとはなにか、演劇とはなにかを考えさせるという意味できわめて興味深いものであった。

 それ以上に刺激的に感じたのが最終的なアウトプットに至るまでの段階で、相模は野田と1カ月以上も毎日のように試行錯誤を繰り返してきたことで、今後この時の試行錯誤から今回とはまったく別の方向性の作品が生まれてくる可能性も感じさせたのである。

 「若手振付家、ダンサーによるダンスショーケース」では菊池航の『セッチュウアンってことで。』が面白かった。菊池は近畿大学出身で自ら主宰するダンスカンパニー「淡水」のメンバーも全員がそこの卒業生。ダンサーの高木貴久恵(dots)、松尾恵美はともに京都造形芸術大学の出身で、関西のコンテンポラリーダンスではこの両大学の出身者が2大勢力となっているが、意外と交流は少ない。

 このため、菊池もこの2人とやるのは初めて。高木はdotsの振付を担当、ダンサーとして出演するほか、最近では白井剛『静物画』にも出演しており、松尾恵美はKIKIKIKIKIKIに参加しきたまり作品を踊ったほか最近は木ノ下歌舞伎「夏祭浪花鑑」で主演するなど演劇でも活躍している。作品はポップかつキュートなもので、高木、松尾も普段着ではないにしてもそれに近い衣装で登場。これまでの作品では精密に作りこまれた造形を演じることの多かった高木や、なにかの役を演じることの多い松尾がいずれも年相応の女性の日常的な様子で現れたのが、元小学校の職員室だった公演場所ともマッチして、新鮮だった。菊池の演出だが、淡水とも全然タッチが違うし、ダンサーの2人もこれまでにはない雰囲気で、新たな組み合わせを演出した「We dance」はこれだけをとっても有意義だと感じた。

中西理[演劇批評誌「act」編集長]

写真:『セッチュウアン ってことで。』振付:菊池航(ゲネプロ撮影)

03. 竹田真理:「We dance 京都2012」とふたつのラディカル

「We dance 京都2012」はプログラム・ディレクターきたまりの、ほとんど危機的なまでのダンスへの不信感を下敷きとしている。察するにそれは、ダンスの制度や環境といった外的な条件以上に、ダンスを信じることが出来ないということ、もっと言えば「ムーブメント」を信じられなくなっているということではないかと思う。ダンスとはいうまでもないが、3次元空間における身体の動き、すなわち腕の一振りや足の踏み出しの一歩を単位とし、その組み合わせであるムーブメントの展開に美学的価値を見出す芸術である。だがこの「いうまでもないが」がツッコミの入れどころで、ポストモダン以降、ダンスは自らを巡る既成概念へのツッコミや疑いを原動力に進展してきた。「We dance 京都」もまたダンスを美学よりも構造から問い直そうとするアーティスト同士の集まりである。かつてのジャドソン教会派もかくあったかと思わせる、未完で、真摯な実験の場、ただし60年代の問題意識を今日そのまま引き継ぐのではなく、コンテンポラリーダンスの隆盛を経験した後に、アーティスト達の自発的な問いの場として継続していけば理想だろう。

 一方、いささかの不謹慎を承知の上で言うと、「ダンスとは何か」と自己言及的に問うこと自体に少々飽和感がある、というか、生真面目に根拠を問う作業に、これ以上の展開はないのではないかという、見切りというか、既視感というか、行き詰まりを感じていることを白状する。実験とは仮説を立て、それを証明したり確認したりすることだから、必ずしも新しさを求める必要はないし、むしろ個々のアーティストの必然による取り組みは、次へすすむためのプロセスでもあるだろう。だがラディカルが真面目さを伴うと閉塞へ向かう。ダンスとは何かと根源的に問うこと自体が閉塞へ向かうという局面に、コンテンポラリーダンスがさしかかっているとしたら。さらに言えば、「ダンスとは何か」という問いは、いまやひとつのスタイルと化しており、たとえば「ノンダンス」なぞは商標以上の意味を持つとは思えなくなっている。そういった中で自らの内発性に従ってこの本来孤独で先鋭的な問い「ダンスとは何か」に衒いなく向き合うことができるか。しかもユーモアをもって。「We dance」はそうした難題をはらんでいるように思う。



 さて、きたまりのダンスへの懐疑は、今回のテーマのひとつ「演劇とダンス/身体性の交換」にも反映されている。私は一部を見ていないのであくまで限定的であるのだが、ここには方向性の異なる二つのラディカルさが見て取れた。ひとつは文字通り「根源を問う」もので、パフォーマンスを通してダンスの生成過程やダンスが成立するぎりぎりの条件を探ろうとする。相模友士郎の『先制のイメージ』はまさにそうした作品で、知的で、真摯で、繊細で、緻密で、論理的な作業を要するものである。

 ダンスの身体を“潤色する”感情やイメージ、私という主体を捨て去り、身体そのものを取り出そうとする試みを、相模はダンサー野田まどかに作業を要請しながらすすめていく。野田の極私的な身振りに対し、コカコーラ、すなわちグローバルな大衆消費社会の象徴的アイテムにまつわる歴史や逸話を対置させる構図が鮮やかで、周到な手はずを踏んで理屈で迫っていく相模の知的な手法が光る。コカコーラを巡る延々とした言説は、語ろうとすればいくらでも語れるというアイロニーに通じ、ナラティフの要素を極限まで削ぎ落としていく身体と、最終局面で共振する。ただここまでのストイックさ、緻密さは、ひとつはずすと功を奏さず、今回はあまり遠くまでは行けなかったように思う。人形遣いの段に至って、シャドウ・ワークから立ち上がってくるはずの虚の身体が見えづらく、最後に取り出された身体は案外、想定内の「ダンスの生まれる瞬間」であった気がする。

 さて、もうひとつのラディカルさは「根こそぎにする」というもので、こちらはただひとり、多田淳之介が気を吐いている。腕力勝負の、理不尽で、過激で、スキャンダラスで、演出家の権力濫用というほかないのが『RE/PLAY』である。サザンやビートルズなど超ポピュラーな楽曲で思い思いに踊る8人のダンサーの図に、動きの即興性とかダンサー同士の関係性へと論をすすめればふつうのダンス批評。だが楽曲がフルコーラス終わるたびに8人はサドン・デスといった具合でくたばり果て、再び曲が鳴り出すと起き上がってゼロから踊り始める。この繰り返しの果てしない構造が、ダンスの根拠も意味も、それを問うことの文脈もなぎ倒していく。イントロが鳴るたびに上昇する徒労感、青筋立てているダンサー、繰り返しの恐怖には笑うほかなく(見る側には実際に笑い出す者もあった)、演出家の悪意を感じたが、いっそ爽快ですらあった。この全く別種の想像力が、閉塞感漂うダンスシーンに風穴を開けるか。きたまりが東京から多田を呼び寄せた意図が見える。

竹田真理[ダンス批評]

写真:『RE/PLAY』演出:多田淳之介(ゲネプロ撮影)