ページ

2012年2月27日月曜日

02. 森山直人:「いま、なぜ、コンテンポラリーダンスなのか」

京都造形芸術大学舞台芸術研究センターは、今回「We dance 京都 2012」に共催として参加させていただきました。私たちのセンターは、2005年、舞踊家の山田せつ子さんを中心にITI(国際演劇協会)日本センターの「第2回アジアダンス会議」を共催させていただいたことがあります。その時痛感したのは、クリエーションにおける「場」の重要性についてでした。異なるバックグラウンドを持つアーティストが出会い、徹底的にダンスについて意見を戦わせ、刺激しあう「場」の存在が、普段は孤独に現場に向きあっている作り手一人一人をどれほど勇気づけるものなのか。一昨年、岡崎さんから「We dance」の京都開催について打診を受けたとき、即座にその趣旨に共鳴できたのは、明らかにそうした体験があったからでした。結果的に共催者としてはわずかなことしかできませんでしたが、プログラムディレクターのきたまりさんの獅子奮迅の活躍のおかげで素晴らしい二日間になったことは大きな喜びでした。

 誰もが口にする通り、過去20年余に亘って独自の展開を遂げてきたコンテンポラリーダンスは「危機の時代」を迎えています。大学で毎年入試をやっていると日々実感しますが、いま10代の多くの若い世代にとって最も魅力的な「ダンス」はヒップホップでしょう(どこまで長続きするかは疑問ですが、2012年度から中学校ではダンスが必修化され、指導要領には「ロックやヒップホップ」などという文言が踊っているようです)。他方、ピナ・バウシュもマース・カニングハムも大野一雄もこの世を去った今、20世紀のダンス史の燦然たる輝きはゆっくり「歴史化」への道を辿りつつあると言わなければなりません。間違いなく日本のコンテンポラリーダンスはこうした偉大な作家たちに深く同時代的な刺激を受けて発展してきたのであって、こうしたプレゼンスのないところで作品を作るという状況自体が新しい段階なのだと言えるでしょう。コンテンポラリーダンスとは、個人の小さな内的小宇宙をナルシスティックに受け入れあう場所では決してなかった。それは広い意味での「歴史」や「社会」と厳しく対峙し、作り手と観客双方の身体感覚や感性が、劇場空間の只中で変革されるような生々しく残酷な「場」にほかならなかったのです。

 今回のプログラムのなかでは、「演劇とダンス/身体性の交換」における三つの作品が明瞭な存在感を際立たせていました。筒井潤さん、相模友士郎さん、多田淳之介さんが京都の初顔合わせのダンサーと組んで作った作品には、「ダンスとは何か」「いまダンスは何が魅力的なのか」を異分野の立場から立論しねばり強く練り上げた痕跡が色濃く感じられました。私は、コンテンポラリーダンスをやっていこうと決意している人たちがどのようにこうした作品を受けとめたのか気になります。今回唯一心残りだったのが、その点突っ込んで議論する時間が公式には取れなかったことです。その解答は、参加者の今後の作品そのものに刻印されていることを期待して、私自身、これからもダンスの劇場に足を運びたいと思います。

森山直人[京都造形芸術大学舞台芸術研究センター主任研究員、演劇批評家]

0 件のコメント:

コメントを投稿