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2012年3月5日月曜日

06. 橋本裕介:「We Dance Kyoto 2012」 レポート

2012年2月3日(金)から4日(土)の二日間、京都は元・立誠小学校にて行われた。「アーティストの創造意欲とエネルギーの求心力でコンテンポラリーダンスの活性化を目指し」と開催趣旨にある通り、プログラムディレクターとして、ダンサー・振付家のきたまりの元に具体的なプログラムが組み立てられた。
今回は主として、即興セッション・若手振付家のショーケース・演劇の演出家によるパフォーマンス作品・そしてシンポジウムといった構成で実施された。 初日に行われた即興セッションの後に実施された「ダンサーが考えるダンサーの未来」というシンポジウムで、きたまりは今回のプログラムの趣旨を説明していた。それを私なりに解釈すると「学んできたダンスの出自、そしてジャンルを横断することで、ダンスの新たな可能性を発見しよう」というものだったと言える。
特に近年のコンテンポラリーダンスを取り巻く状況で言えば、意外と「学んできたダンスの出自」というものを交換していくことは難しいのだろうと思う。それなりに学ぶ機会が大学をはじめとして増えてきていることで、却ってその環境に充足してしまい、外部との交流が減ってきていることが確かにあるからだ。それは、一番初めに行われた即興セッションのプログラムを観ていても強く感じるところだった。しかし、それは極めて狭い環境に若手アーティストを留めてしまう問題であって、それを打破するための取り組みがアーティスト主導で進められたことは、ひとまず前向きに捉えたいと思う。

さて具体的なプログラムについて振り返ってみたいと思う。
まず「即興セッション」だが、ファシリテーターとしてダンサーの増田美佳が、共通のルールを設定し、それに基づいて任意でダンサーが参加するというものだった。後半からはフリーセッションということだったが、前半についてひとまず感想を述べる。ルールは「とまる」を共有することだった。増田自身は、このキーワードでダンスにおける身体の根本的なところに意識を働かせながら、ダンサー同士の交換を意図していたと思う。しかし実際には、物理的な(ゲーム的な)ルールとしてしか共有されていなかったように見受けられた。ひとつには、その意図を説明する言葉が足りなかったのかもしれないが、もう一つにはこのセッションを行う「場」についての意識に参加者間でかなりの差があったのではないだろうか。つまり、一応舞台と客席というエリアは区分けされているにせよ、客席にいるダンサーが舞台に参加出来る仕掛けになっており、誰に向けて踊るのかという「見られる」感覚が複雑になってしまう「場」の設定となっていたのではないだろうか。決してその設定が悪いわけではなく、その設定についてダンサーがあまりに無頓着だったのではないかと考える。
次に「若手振付家によるショーケース」だが、文字通り若手振付家がこれまで作業を共にしたことの無いダンサーと小品を発表するものだった。元・立誠小学校が劇場ではなく廃校であるため、空間についてはその特殊性を生かして制作されたものが多かった。しかし、時間性について、いずれの作品も非常に「淡い」印象を持った。どういうことかと言えば、断片的な言語イメージは出てくるものの、それが連なって一つのドラマツルギーを織りなしているわけでもなく、あるいはコンセプトを体現する説得力のある音楽が中心に置かれているわけでもなかった。そのため、ダンスというフィクションの時間をどのように進行させていくのかについて、明確な意志を持った作品には出会うことが出来なかった。30〜40分といった日本のコンテンポラリーダンスのショーケースでよくある時間性にフォーマットされ、その中で完結するスペクタクルを構成する手段としての言語イメージ・音楽、更にそこに奉仕するムーブメント、といった印象を持った。
最後に「演劇とダンス/身体性の交換」というプログラムであるが、実際に観劇出来たのは、筒井潤と相模友士郎の演出による2作品だった。演劇の演出家からのアプローチということで、好対照の2作品だったと言える。筒井潤の作品は女性三人が登場する戯曲や映画を元にして、演技とダンスの境界にあるムーブメントを立ち上げ、虚構としての時間を詩的に紡ぎだしていた。一方相模の作品は、Wikipediaで解説されているコカコーラの解説とダンサーの日常を動きで解説するという二つのアプローチから言語イメージと身体イメージの往還する、レクチャー・パフォーマンスだった。観客の感覚あるいは意識といった部分に直接働きかける、フランスの振付家ジェローム・ベルやシンガポールの振付家チョイ・カファイたちの非常に知的な企みにあふれた仕事にもつながるような作業だった。

最後に振り返るならば、こうしたことを継続的に言葉の部分で検証していくことが必要な気がしている。イベントを行うことはそれなりに労力のいることでもあるので、そう簡単には行かないだろうが、粘り強く語り合い、情報を共有・交換することは是非今の若手ダンサー・振付家に期待したい。少なくとも、その可能性は今回のプログラムによって充分に意識させられた。

橋本裕介[舞台芸術プロデューサー/「KYOTO EXPERIMENT」プログラム・ディレクター]

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